Note.

うっかり大学院に進学してしまった私の毎日

コロナウイルスに関する自分の記憶メモ

これまでに類をみない世界的緊急事態、自分も歴史の証人になっているんだという感覚を毎日ひしひしと感じています。

今こそ自分が感じたこと、考えていることを遺すべきなんだと思い至り、何度も続けようとしてダメだったブログを再開します。

 

私は4月から大学院1年生、予定では研究とちょっとの講義とTAに忙しい毎日を送るはずだったのに、未だに長すぎる春休みの中にいます。

緑溢れる大好きなキャンパスは構内への立ち入りさえも禁止、4/16時点では、GW開け(5/6)まで休業が続く事が決まっています。

アルバイト先も休業していますが、リモートワークとして企画書や業務マニュアルを作成する事でお給料をいただけるので、今のところ、金銭面ではめちゃくちゃ困窮している状態ではありません。

 

外出は家とスーパー、病院くらい。

卒論が忙しかった年明け~3月は人間的な生活が送れなかったので、料理や掃除など日常のいろいろを丁寧にやりたい欲が溜まっていました。

しかし今は、長すぎる休暇でやりたい事リストも消化してしまい、一刻も早く研究室に戻りたいです…

 

思えば1月初旬、武漢でナゾのウイルスが拡がっている、という報道を目にした時には、発生地が中国ということから嫌な予感がしたものの(SARS鳥インフル、元の隠蔽体質などから)、経済や医療体制にここまでの危機をもたらすものだとは思いませんでした。

記憶にあるのは、2/13もしくは14に大学の先生・友人と昼食を共にした時、コロナウイルスに関するニュースを見ながら「(致死率は)インフルエンザのようなものなのだから、人々は騒ぎすぎだと思う」と発言したことです。

妊婦さんや高齢の方、基礎疾患のある方への感染には十分に気を付けるべきだけど、メディアはまた不安を扇動しまくっているな、と。

当時の私はそういった考えでした。

 

春休みは弾丸でアジアへ一人旅をしよう、と思っていた私は、3月の頭まではそういう考えがありましたが、連日報じられる帰国者の感染や東アジア以外への地域の感染拡大を見て、国外は危ないな…と旅行は諦めました。

ただ、今回は「弾丸」だから旅行の中止を決めたものの、もしも航空券、ホテルなどを事前予約していたら、そして旅程が3月前半ならば、キャンセルの手間や手数料を考えて(卒業旅行というプレミアもあるし)、決行していただろうなと思います。

 

3月半ばには、卒業式の式典中止の連絡が来ました。式当日の1週間前。

その後も細切れに連絡が来て、式典中止⇒学科ごとに大きな教室で学位授与式⇒学位授与式も中止、最終的に研究室・ゼミ単位で証書授与となりました。

しかし、大学内では「研究室・ゼミ単位で証書授与」も、教職員・学生への感染リスクがある事から中止にすべきとの声があったそうで…

卒業生からすると、式典が無いだけでショックなのでたまったもんじゃ無いのですが、まあ3月も半ばになるとそれだけ危機感が高まっていました。

ただ、その危機感は大きな組織を管理する側の認識であって、一個人としてはまだどこか他人事という感じでした。

 

私の大学では3月末にようやく前期授業が遅れる事がわかりました。この発表は、近隣や関東・関西の有名大などと比べるとかなり遅い方でした。

年度が変わり4月、学内への立ち入り制限⇒緊急事態宣言による学内への立ち入り禁止(4/8)⇒授業開始GW明けに延期⇒前期は遠隔授業に(?)、とちょこちょこと連絡が来るようになり、ひとまず授業が受けられる目処は立ったところです。