Note.

うっかり大学院に進学してしまった私の毎日

先が見えない不安の中で感じていること

コロナウイルスによる経済、教育などの活動自粛は、どう考えても1年では済みません。

感染者数が減少し、思惑通りピークを抑えることが出来たとしても、たった一人無自覚の保菌者がいればたちまち集団感染が引き起こされます。

そうして感染した人々が通常通りの生活を送っただけで、また新たな感染者を生み出します。

 

「コロナが終息したら」

 

とはよく聞きますが、それがいつ頃になるのかどうか、今は全く想像出来ません。

そんな中で浮き彫りになっているのは社会の格差です。

公立の小中学校はまともな教育活動が出来ていない中、私立では既にオンライン授業が始まっているそう。

海外からの派遣労働者はまともな説明もされぬままに解雇され、赤ん坊のミルクやおむつを買うことさえも難しく困り果てています。

フリーランス個人事業主への補償が叫ばれるのを「自己責任だから国に補償を求めるな」と嘲る同業者は、自ら成功は自身の才能と実力の賜物であると信じ切っているようです。

SNSでは、大学が学び舎であるという認識に欠けた大学生たちが、サークル活動や友人と遊びほうけるための時間を取り戻すべく立ち上がってしまいました。

 

人生は配られたカードで戦うしかないゲームである、といった例え話をよく耳にします。

私はある人から見れば非常に恵まれているし、また別の人から見れば大して恵まれていないのでしょう。

ですが、教育だったり、賃金だったり、娯楽だったり、人間としてこれくらいは受けられるはずだというラインは存在して、自分はそれ以上のものは貰って来た自覚はあります。

 

私が今思うのは、自分は「普通」を普通に手に入れる事が出来ない人たちに寄り添って生きていきたい、ということです。

明日を生きられるかどうかを孤独に悩む人や、未来に絶望しきっている人、頑張っても先が見えずにもがいている人、そういう人たちのために人生を使いたいと、今感じています。